2016/10/21

「延長戦」が生んだ逆転劇 『いちご100%』の結末について


『いちご100%』を初めて通して読んだ。
週刊少年ジャンプで連載していたときは「お色気ラブコメ枠」としてしか認識していなかったのだが、改めて読むと「青春もの」としても優れた作品だと思った。

特に印象的だったのは、やはりラストの展開、すなわち東城ではなく西野と結ばれるという、ラブコメの予定調和をぶち壊したエンディングである。

不利な方が有利


『いちご100%』は主人公の真中たちが中学三年の秋から始まる。序盤はまず中学生の主人公たちの恋愛模様が描かれる。

序盤の「中学編」において、本作のメインヒロイン、すなわち「最後に結ばれる」ことが(メタ的に)「決まっている」のは東条である。
なにせ1話の冒頭で真中が一目惚れした「いちごパンツの女の子」は東条であり、西野は「勘違いで告白した相手」、すなわち噛ませ犬・当て馬でしか無い

事実、 真中は西野と付き合いながらも、屋上で一目惚れした東城のことが忘れられない。
結果として、西野は真中の元を離れ自由奔放に見えた西野が、実は真中から影響を受けており、別の高校に進学するという決断を下す、彼女の成長が見られる良いシーンである)、真中は東城に告白(未遂)する、という恋愛ものとしては至ってオーソドックスな展開で幕を閉じる。
もしここで連載が終わっていれば、何の変哲もない終わり方である。

しかし本作は人気を博したため、連載は続き、物語は高校編に突入する。
ここで、東城と西野の立ち位置が逆転する。 東城は真中と同じ高校に進学し、西野は真中とは別の女子校に進む。
そしてこれは、西野にとって有利な展開である。なぜなら、恋愛ものにおいては「遠くに離れている」のは逆に有利な武器になりうるからだ。

中学編がまさにそのとおり、「遠いほうが有利」のルールに従って展開している。
真中は西野と付き合っているのに、東城に神秘性を感じて惹かれる。恋愛は相手に幻想を抱く心理感情だからである。近くにいる=すでに釣った魚には興味が薄れるのだ。

物語としても「仲が良い子と、そのまま付き合う」というのはそのまますぎて盛り上がりがない。「不利」な状況の子が「逆転」するからこそ盛り上がるのである。

なので、高校編は中学編を(東城と西野の立場を取り替えて)再演するように進んでいく。真中は近くのすでにメガネはかけず、「ただの美少女」となった東城より、遠くの西野の神秘性に惹かれていき、最終的には西野と結ばれる。


恋心ではなかった

 実際、真中が東城を(恋人として)選ばなかった理由は、作品を読んでいれば納得が行くように描かれている。

真中にとって東城はあくまで「映画に撮りたい」存在ではあるが、恋愛の対象であるとは描写されていない。
あくまで画面映えする子への憧れ、同じ夢を持つ同志への友情、もしくは巨乳美少女に対する単純な性欲はあったとしても、それを超える特別な感情は明示されていないのだ。

例えば、西野と日暮さんの仲なのを知った真中は、自分にも同じような立場の東城がいる、と考え自分を慰める。一方で東城が他の男と付き合ったと誤解した際は、すぐに西野に告白する(本人は否定しているが)。
真中にとって東城はあくまで「映画作りの仲間」というポジションなのだ。

従って本作の結末は、「西野が恋愛レースに勝った」というよりも、「真中が東城への感情を(恋愛ではないと)正しく理解した」結果と言える。その意味では、非常に反・恋愛的な展開なのだ。

中学編というオーソドックスな「恋愛もの」の結末を、後に冷静になって見直してみると「いや、あれはやっぱり恋愛じゃなかった」と振り返って「撤回」している。ラブコメとしてはかなり大胆な領域に踏み込んでいると言える。


筋書きを超えた物語

本作が面白いのは、こういった展開が(おそらく)作者の想定していた筋書きを超えたものだからだ。

最終巻の作者のあとがきにもある通り、物語としての初期の構想は明らかに東城=メインヒロイン、西野=サブヒロイン(当て馬)だったはずだが、連載に人気が出て高校編という「延長戦」に突入したこと、西野の読者からの人気が高かったことなどの外部的な要因が、西野が(恋愛の)メインヒロインとなる「逆転劇」を生んだ。

作者も読者も予想し得なかった結末だが、それは物語の登場人物たちが、自分で考え、感じ、動いた結果である。彼らの「意思」が、ラブコメ・恋愛ものという「ジャンルのお約束」を超えたのだ。だから、最終話で描かれる成長した登場人物たちの様子は、(東城を含め)みな晴れやかなのである。