2017/01/18

青春に終わりなんて無い(と思いたい) 『青春群像』フェデリコ・フェリーニ


1953年の映画だが、古さを感じさせるのは邦題だけで、描かれているのは普遍的な「青春」=モラトリアムを生きる青年たちの姿である。
メインとなる青年5人組―― といってもみんな20代で、ファイストに至っては30近い――が全員ろくに働いてないのが良い。
現代なら、こういう設定は10代でやるほうが似つかわしいんだけど、時代なのか、20代でみんなフラフラしている。

5人グループではあるが、別にみんな親友同士というわけではなく、例えば終盤に劇作家志望のレオポルドが「友達は自分を理解してくれない」「孤独だった」と語っているのが印象的だ。
一緒にいても、孤独なことがある。孤独でも、一緒にいることがある。

 ストーリーはファウストをメインに進む。
色男でいけ好かない男なのだが、女の子を妊娠させてしまって遂に年貢の収めどき、結婚する羽目になり、家族を養うために働かなければならないと決まった時の、あの嫌そうな感じ!
自分は永遠に自由だと思っていたのに、つまらない現実に捕まってしまったという感じだ。

やがてファウストの妻は家を出ていくが、ファウストはドラマチックに妻を追いかけ捕まえて「これからは真面目に働く」と「改心」する……があれぐらいでファウストの浮気性や適当な性格が変わるとも思えず、雰囲気に流されているだけにしか見えないし、実際そうだろう。

いずれにしてもファウストは、つまらない田舎町の日常に、抵抗しながらも最終的に飲まれてしまう。
一方でまだ若いモラルドは、「現実」という霧に飲まれたくないと抵抗し、あてのない旅に出る。
空想家のアルベルトは姉の駆け落ちによって経済基盤を無くし、働かざるを得なくなる。
劇作家になって自分を変えようと思っていたレオポルドは、折角のチャンスを自分で不意にする。

成功者は誰一人としていない。その意味で、「青春」の「結末」はこの映画では描かれていない。青春は続くのだ……それがどんな形であれ。