2019/02/26

「終われなかった」成歩堂龍一の物語(あるいは始められなかった葉桜院あやめの物語)『逆転裁判123』

3DS版『逆転裁判123 成歩堂セレクション』をプレイしていた。

『逆転裁判』はGBA版から何度も遊んでいるが、何度再訪しても素晴らしい作品だ。15年以上前に発売されたときから魅力は全く色褪せていないし、これからもずっとそうだろう。

今回は『3』の最終話「華麗なる逆転」で感じたことを中心に、『逆転裁判』というシリーズの「終わり方」について考察したい。

以下、当然の如くネタバレ全開】

「終われなかった」シリーズ

「○○までは良かった」と言いたがる「懐古厨」にはなりたくないものだが、こと『逆転裁判』シリーズにおいては、やはり『1』『2』『3』の3作が飛び抜けて高質であると認めざるを得ない。

『4』『5』『6』も決して悪い作品ではない。普通の推理ADVとして見れば十分に楽しめる作品である……がやはり『1』~『3』の神掛かった完成度と比べると見劣りしてしまう。

しかしここで語りたいのは『4』以降の作品としての出来云々ではなく、『3』で「終わる」はずの物語が『4』で「続い(てしまっ)た」という点である。

『1』の第1話で初めて法廷に立った新米弁護士の成歩堂龍一は、師匠の死、友人の過去との決別、弁護士としての信念を確かめられる試練など、様々な戦いに挑んでいく。

そして『3』の最終話「華麗なる逆転」において、自身に深い傷を負わせた過去との対峙を経て、遂に一人前の弁護士へと成長を果たす。この成長物語はそのまま、「裁判ゲーム」という未知のジャンルを手に取ったプレイヤー自身の成長と重なる。

明らかに『3』はシリーズ完結作として作られているし、実際見事にシリーズは完結しているのだ。

『3』をシリーズ完結作、すなわち「最後の物語」として見た場合、象徴的なキャラクターがいる。「華麗なる逆転」のキーパーソンとなる葉桜院あやめである。

(Miiverse終了につき、画面直撮り画像)

 

葉桜院あやめが「登場できた」理由

あやめは『3』の最終話=「最後の話」にしか「登場することができない」キャラクターである。なぜなら、彼女の存在はナルホドくんというキャラクターを恒久的に変質させてしまう可能性が高いからだ。

『3』の1話開始時点では、ナルホドくんは千尋(≒プレイヤー)の目線では、恋人のちなみに「首ったけ」な「バカ素直で恋ボケした青年」である。

裁判が進むにつれちなみの本性が暴かれていっても、ナルホドくんは「ちいちゃんがそんなことするわけない」「自分の知っているちいちゃんと違う」とちなみを盲信し続け、それに対して千尋は「(いい加減目を覚まして!)」とプレイヤーの心理を代弁する。

ちなみに有罪判決が下されても、ナルホドくんは自分がちなみに利用されたということが信じられない。この時点でのプレイヤーのナルホドくんに対する評価は「悪女に騙され、良いように使い捨てられてもなおそれに気づかない哀れな青年」である。

しかし最終話のあやめの告白、すなわち「ナルホドくんと付き合っていたのはちなみのフリをしたあやめである」という事実が明らかになると、実は成歩堂は最初から一貫してちなみとあやめを「見分けられていた」ことが分かり、すべてが「逆転」する。
鮮やかなどんでん返しであり、同時にシリーズのラストを祝うこれ以上無いハッピーエンドであるとも言える。

これまで(『1』と『2』)は、ナルホドくんは色恋沙汰にはほぼ無縁で、それどころか仕事以外のプライベートの情報がろくに描かれることすらなかった。
なぜなら、ナルホドくんはプレイヤーのアバターであり、「新米弁護士」という記号だからである。

『1』~『2』はあくまで「新米弁護士(を操作するプレイヤー)が一人前になる話」である。ナルホドくんには、ある程度の個性は付けられているものの、基本的には取替可能な「一新米弁護士」であり、だからこそプレイヤーは彼に自分の身を託して物語世界に入ることができる。

しかし『3』で描かれるのは、れっきとした「成歩堂龍一の物語」である。 ナルホドくんはもはや単なるアバターではなく、作品世界の一人物として「描かれる」側の存在になっている。

『3』では場面によってプレイヤーが千尋さんや御剣を操作することになるが、それも単なるファンサービスではなく、ナルホドくんを「一キャラ」として他人の目線から描くための重要な手段である。
もちろんこうした演出が可能なのは、プレイヤーが『1』~『3』のプレイを経て逆転裁判という世界の「一員」になっているという前提、作り手とプレイヤーの信頼関係があるからだ。

『3』はいわば、プレイヤーとナルホドくんが「別の存在」として別れるための物語とも言える。
あやめの存在は、ナルホドくんがプレイヤーのアバターではなく、作品世界の一人物であるという『3』のテーマを象徴している。『3』はナルホドくんにも「彼の物語」がある、とプレイヤーが認めるための卒業のイニシエーションなのである。

エンディング後、あやめは収監されるが、刑期を終えれば出所することが示唆されている。
もし出所したとすれば成歩堂との関係はどうなるのか。もしかしたら大学時代のようにヨリを戻すかもしれないし、戻さないかもしれない。その先はプレイヤーの想像に委ねられ、描かれない。これから描かれることもない。逆転裁判はもともと『3』で完結する予定だったからだ。

確実なのは、あやめとの関係がどうなっても、ナルホドくんというキャラに大きな変化が起こることである。

より正確に言えば、ナルホドくんと真宵ちゃんの「パートナー以上恋人未満」というべき絶妙な関係にゆらぎが起こることは間違いない。
恋人ができるにせよ、フるにせよ、そうなったナルホドくんはもはや完全に「一キャラ」であり、プレイヤーのアバターには戻れない。

だからあやめ(=ナルホドくんに恋人ができる可能性)は『2』までは描けなかったのだ。
逆に言えば――「発想を逆転」させれば――あやめを出すことができるのは、「可能性」を「可能性」のまま永遠に宙ぶらりんにしておくことができるタイミング、すなわち「最後の話」だけなのである。

いずれにしても大変なことに…
 

あやめが外に出られる日

しかし『4』以降では、成歩堂とあやめの関係についてまったく言及されることがない。「無かったこと」にされてしまっている。

これは当然だ。前述の通り、あやめの存在はナルホドくんを「別のキャラ」にしてしまうほどクリティカルなので、ドル箱コンテンツをシリーズとしていつまでも続けていきたいという商業的な思惑からすれば、明らかに「邪魔者」である。
会社としては、ナルホドくんはナルホドくんのまま、いつまでもそのままでいてもらわなくては困るのである。

――――――

『3』の最終話で、ナルホドくんは徐々にプレイヤーから離れていく。そして法廷のラストシーン、ゴドーに託されたコーヒーを飲むシーンで「別れ」は完了する。
あのシーンで弁護席に立つナルホドくんは、もはやプレイヤーの分身ではない。彼は一人の人間としてあやめの告白を受け入れ、ゴドーのコーヒーを飲み干す。そこにプレイヤーの選択や介入の余地は無い。

では代わりにプレイヤーはどこにいるのかと言うと、ちゃんと逆転裁判の世界の中にいるのである。

それを示すのが、エンドロールだ。

『逆転裁判』シリーズのエンドロールは、『1』から一貫して「キャラクターがエンディング後の近況を語る」という形式を取っている。
ここで問題になるのが、「彼/彼女らは誰に向かって話しているのか」である。話の内容からして、どうもナルホドくんでも真宵ちゃんでも無い。


「誰」に向かって話しているのか?

しかし『3』をクリアしたのであれば、彼/彼女らはプレイヤー=自分に向かって話しているのだということがわかるだろう。

プレイヤーもまた、ナルホドくんや真宵ちゃんやはみちゃんと行動を共にし、一緒に法廷で戦った一人の存在である。『3』のエンドロールは、シリーズを最後までクリアしたプレイヤーをそう労っているように見える。

あやめの存在が「無かったこと」にされるのは、『3』で描かれた物語が、すなわち「ナルホドくん」というプレイヤーのアバターが「成歩堂龍一」という一人の人間になり、同時にプレイヤーもまた『逆転裁判』という物語の一員になる、という幸福な終幕が反故されるのに等しい。

繰り返すが、『4』以降もゲームとして見れば決して悪い作品などではない。
しかし、物語は、シリーズはいつかは終わる。終わるべきである。そして成歩堂龍一の物語が終わらない限り、葉桜院あやめが閉じ込められている牢の錠は決して解かれることはないのである。