夏なので『H2』を読み返していたが、やっぱり面白い。
高校野球漫画として大傑作なのはもちろんのこと、今回は恋愛作品としての結末、すなわちひかりが主人公の比呂ではなく英雄を選ぶというエンディングに考えさせられた。
初めて『H2』を読んだときは、この終わり方に結構な衝撃を受けた。
主人公は比呂で、メインヒロインがひかり。あだち充(に限らないが)マンガの定石として、2人がくっつく以外の終わり方は想像していなかった。
しかも最後の試合(甲子園準決勝)で、比呂は英雄を三振に取ったのだ。試合に勝ち、勝負にも勝ったのに、恋愛では負けた。こんな終わり方をする野球・恋愛マンガは他に無いのではないか?
しかし今回じっくり読み返して、この展開は決して突飛ではない、必然的な結末だと思い返した。
すなわち『H2』は、「比呂がひかりに(ちゃんと)失恋するまでの話」なのである。
『タッチ』―和也に認めてもらうまでの物語
『H2』は、あだち充の代表作 『タッチ』の裏返しであり返歌でもある。
『タッチ』では、まず物語開始時点でヒロイン(南)が主人公(達也)のことを好きである。
しかし達也は、(南のことが好きな)双子の弟・和也への遠慮や、自分の気持ちを測りかねているといった複雑な心理から、南への想いを表には出せない。
和也は南と達也の気持ちをよく知っているから、南を掛けて(野球で)勝負しようと持ちかける。ここが『タッチ』のターニングポイントである。
そしてその直後、「勝負」が始まる寸前に和也は交通事故で死亡する。
すなわち『タッチ』は、達也が和也の遺志を継いでマウンドに上がり、間接的に和也に南を恋人にすることを「認めてもらう」までの物語といえる。
南と達也は物語開始時点から両思いであり、「最初から手に入っている」関係なので、実は両者の間に緊張関係はない。『タッチ』のドラマはあくまで達也と(死んだ)和也の関係にある。
こっちの和也=比呂は交通事故で死なないため、『タッチ』では描かれなかった和也=比呂と達也=英雄の「対決」が物語の核となる。その意味で『タッチ』よりも『H2』の方が「野球もの」としてはずっと「王道」である。
だが「恋愛もの」としてはそうではない。『H2』の主人公は英雄=達也ではなく比呂=和也だからだ。
すなわち『タッチ』は、達也が和也の遺志を継いでマウンドに上がり、間接的に和也に南を恋人にすることを「認めてもらう」までの物語といえる。
南と達也は物語開始時点から両思いであり、「最初から手に入っている」関係なので、実は両者の間に緊張関係はない。『タッチ』のドラマはあくまで達也と(死んだ)和也の関係にある。
『H2』―ひかりを諦めるまでの物語
一方で『H2』は、この『タッチ』を和也の目線から描いた物語と言える。こっちの和也=比呂は交通事故で死なないため、『タッチ』では描かれなかった和也=比呂と達也=英雄の「対決」が物語の核となる。その意味で『タッチ』よりも『H2』の方が「野球もの」としてはずっと「王道」である。
だが「恋愛もの」としてはそうではない。『H2』の主人公は英雄=達也ではなく比呂=和也だからだ。
比呂はあくまで、完成した関係である英雄×ひかりの間に割って入ろうとする恋敵であり、当て馬なのだ。この点が、「恋愛もの」としては異色な構造なのである。
比呂は中学一年のときひかりを英雄に紹介するが、その一年後にようやくひかりへの恋心を自覚する。
だが、英雄からひかりを奪い取ることはできない。なにしろ英雄は、超高校級のスラッガーであり、人間性も良く、おまけに比呂とは幼なじみで良き友人でもある。非の打ち所が無い。
「失恋」を引きずり続け、決してひかりを手に入れることができない「当て馬」である比呂。 「恋愛もの」の主人公としては異色な存在である。 |
さてそんな中、3年生夏の甲子園準決勝で、遂に比呂と英雄は直接対決を果たす。
試合前、英雄はひかりに「明日の試合後、もう一度ひかりに比呂か自分かを選ばせる」と語る。
すなわち、この試合と2人の対決がひかりというヒロインをかけた戦いであり、勝者がひかりに選ばれる権利を持つという宣言である。比呂もそれを了承する。
そして結果は、前述の通りだ。千川高校は試合に勝ち、比呂は英雄から三振を取って「個人的な勝負」にも勝つ。
すなわち、この試合と2人の対決がひかりというヒロインをかけた戦いであり、勝者がひかりに選ばれる権利を持つという宣言である。比呂もそれを了承する。
※実際には野田が漏らしてしまったいう形。 このあたりのズラしっぷりがあだち充的である。 |
しかし試合後、ひかりは比呂ではなく英雄を選ぶ。比呂はいろいろな意味で「勝った」のに、ひかりには選ばれなかった。なぜか?
単純に、「負けた=弱い部分がある英雄にこそひかりが支えとして必要だから」……と解釈することもできるが、ここではもう少し別の見方をしたい。
カギとなるのは、明和一戦で登場した「高速スライダー」というボールである。
高速スライダーとストレート
つまり比呂が「試合」に勝ちたいのであれば、大一番の最後の打席でも英雄に対しては徹底して高速スライダーを投げるのが理にかなった選択である。
しかし最後の最後で、比呂は高速スライダーではなく(ど真ん中の)ストレートを投げる。これについて、試合後、比呂と野田は次のように言葉を交わす。
野田「スライダーのサインだったぞ」
比呂「曲がらなかったんだよ。おまえこそなぜミットを動かさなかった?」
野田「――たぶん、曲がらねえような気がしてたんだよ」
野田は(試合に勝つために)高速スライダーのサインを出し、比呂もそれに同意した。しかし実際に投げたのはストレートである。
このシーンは、こう解釈できる――比呂にとって高速スライダーを投げるということは、「試合に勝つ」という選択肢を選ぶということである。
これはエースとしてのチームメイトへの責任感という以上に、「勝ったほうがひかりを手にする」という英雄との約束へのこだわりを示す。
一方でストレートとは「英雄との(真っ向からの力と力の)勝負を楽しむ」という選択肢だ。
これは、試合に負けても良いから自分の私情を優先するという「わがまま」であり、ハイリスクな選択肢でもある。
しかし比呂は最終的にストレートを投げた。
これは比呂が「試合に負けても良い=ひかりを手にできなくても良いから、ライバルとしての英雄と真っ向勝負をしたい」という決断、すなわち「恋愛よりもライバルとの勝負」を選択した証だと思っている。
高速スライダーのサインに頷きながらも、最後の最後にストレートに変えた比呂。
しかし比呂は最終的にストレートを投げた。
これは比呂が「試合に負けても良い=ひかりを手にできなくても良いから、ライバルとしての英雄と真っ向勝負をしたい」という決断、すなわち「恋愛よりもライバルとの勝負」を選択した証だと思っている。
高速スライダーのサインに頷きながらも、最後の最後にストレートに変えた比呂。
ボールを「リリース」したその瞬間、比呂はひかりへの長い片想いも同時に「手放す」ことに成功したのである。