2019/06/26

「死にゲー」とリトライの速度について――登山とバイクと侍と(『Celeste』『Trials Fusion』『SEKIRO』)


最近は『Celeste』と『Trials Fusion』にハマって、同時にプレイしていた。

『Celeste』は全チャプターのC面をクリア、『Trials Fusion』は全公式コースをゴールドメダル入手までプレイした。
いずれもまだまだやりこみ要素はあるが、とりあえずはどちらもクリアしたと言っていいだろう。

しかしこの2作は、(「すごく面白い」という以外にも)いろいろと共通点が多いゲームである。

共通点1:シンプルな操作の2Dプラットフォーマーである

登山ゲーム『Celeste』


『Celeste』は2018年に発売されたカナダのインディーデベロッパーによるドット絵アクションだ。
操作は非常にシンプルで、「ジャンプ」「ダッシュ」「壁につかまる」の3つのみ。
この3つを組み合わせて、主人公であるMadelineを雪山Mt.Celesteの頂上へと導いていく。

ゲームとしては、障害物を避けながらジャンプで足場を渡っていく、いわゆるプラットフォーマーアクションである。

このジャンルの代表例は『スーパーマリオブラザーズ』シリーズだが、マリオと異なるのは「敵」が少ないこと。
一応、マリオ風に踏んづけて倒せる敵やボスちょこっと登場するが、基本的には無敵のトゲや穴をひたすら避けて先に進むゲームである。

バイクゲーム『Trials Fusion』


一方『Trials Fusion』は2000年にブラウザゲームとして始まったTrialsシリーズの新作(といっても2014年発売だが)だ。
こちらは(一見)モトクロスバイクを操作してゴールを目指すレースゲームで、やはり基本操作は非常にシンプルで、「アクセル」「ブレーキ」「前後への体重移動」のみ。

特徴としては、バイクの挙動が物理演算によって非常にリアルかつ繊細に再現されている点。
ほんの僅かな路面の出っ張りにもタイヤが敏感に反応してしまうので、慣れないうちはちょっとアクセルを吹かしすぎると、あっという間にウィリーしてひっくり返ってしまう。


Trialsシリーズのフォロワー(というか模倣作)に『Urban Trial』というシリーズがある。名前もゲーム性も似ていて紛らわしいが、まったくの別会社による別タイトルである。
『Trials』のバイクがいかに繊細かは『Urban Trial』をやるとよく分かる。『Urban Trial』のバイクはちょっとやそっとでは転倒せず、走りやすい。一見、ゲームとしては『Urban Trial』のほうがよほど「自然」な挙動に思える。

だが両者をプレイしていると、『Trials』の繊細すぎてもどかしい操作性が、実は絶妙のゲーム性を生み出していることに気がつく。バイクを思い通りに操れた時の快感は『Trials』の方が遥かに上なのだ。

共通点2:難易度が高い

クラシックなドット絵と、リアルなバイク……見た目は違えど、両作はいずれもかなりの高難易度アクションという点でも共通している。

地獄の炎を抜けて

『Trials Fusion』は、序盤こそ難易度は低く、アクセルをフルスロットルで吹かして気持ちよくコースを疾走することができる。
難易度Beginnerはとても簡単、Easyもまだまだ簡単。Mediumになると少し難しくなるが、まだまだ何も考えずに走っていてもクリアできる。

しかし難易度Hardに突入すると様相が変わってくる。「別ゲー」と言っていいほど、難易度が高くなる。
普通に走っているだけではどう考えても届かないような遠い足場や高い壁が、次々とライダーの行く手を阻む。

ここをクリアするには、アナログトリガー半押しによる繊細なアクセルワークや、タイミングよく重心移動してバイクをジャンプさせる(バニーホップ)ような応用テクニックが必須となってくる。
着地のバウンドをいかに殺すかがHard攻略のカギ

それでも頑張ってHardコースをすべてクリアするとスタッフロールが流れ、見事クリア……かと思いきや、最後の難易度Extremeのコースがアンロックされる。

Extremeまで来ると、もはやスタート直後からろくに進むことすらできないほどの高難易度。1つのチェックポイントを超えるのに100回以上のリトライを費やすことなどザラである。
最終的にはこんな道(なき道)を走らされる

『Trials』に運要素は一切無く、レベルアップでバイクの性能が上がったりもしない。クリアは完全にプレイヤーの実力次第であり、抜け道は無い。

地獄の高難易度コースをクリアするには、バイクの挙動を理解すること、コースをよく観察すること、そしてなにより他のプレイヤーの走りを参考にすることが大切だ。

公式Extremeの最終コースは「インフェルノ4」だが、私はここをクリアするまで2000回以上のリトライした。
はじめは絶対にクリアできるわけがないと絶望するほど難しかったが、ゲーム内のランキングやYouTubeの解説動画などを何度も観て、ひたすら再挑戦し、幾千人ものライダーを溶岩に叩き落として、ようやくクリアへの道が開かれたときは一種の解脱の境地を感じた

 (↑インフェルノ4の解説動画。とにかくバイクの挙動を観察して真似る。それしか無い。)

この山の中心

一方で『Celeste』は最初の1面からして結構な難易度である。
アクションゲームに慣れている人でも、序盤からある程度のミスは避けられないだろう。

その後、面が変わるごとに様々なギミックが登場し、難易度は少しずつ上っていく。
とは言え、エンディングまでなら難易度は激烈に高いわけではない。同じ2Dプラットフォーマーで比較すれば、『スーパードンキーコング2』と同程度というところだろうか。
(それでも自分はエンディングまでに1465人のMadelineを四散させてしまったのだが。)

だがCelesteの本番はクリア後である。

ステージ内で収集要素の「カセットテープ」を入手すると「B面」という裏面にチャレンジが可能になる。
こちらはChapterごとにギミックこそA面と共通しているが、配置が熾烈なものになっており難易度が跳ね上がっている
特に各コースの終盤は難しいアクションを連続でこなす必要がある難所があるため、簡単に数百人のMadelineを谷に叩き落とされていく。

B面ではご覧のようにシビアなアクションが要求される

そしてB面をすべてクリアすると最後の隠しコースC面が登場。
C面はコースの長さこそA・B面より短いものの、難易度はB面よりさらに上昇しており、最後の関門にふさわしい難しさとなっている。

私がC面を全クリアした時点でのデス数が7515回。単純なリトライ数でTrialsと甲乙つけがたいだろう。
個人的に最難関だった「鏡の寺」のC面。かなりの反射神経が必要なアクションを連続で要求される。


C面クリア時の死亡記録

(※ただ個人的な体感で比較すれば、CelesteのC面よりTrials FusionのExtremeコースの方が難しい。Celesteは数回挑めば「どう動けば良いか」はだいたい分かるので、後は操作精度がイメージに追いつくように試行を繰り返せばいい。しかしTrialsはそもそもどう操作すれば超えられるのかわからないような難所が多い。Celesteは万人向けだが、Trialsは外部メディアを前提としているように感じる。)

共通点3:チェックポイントが多く、リトライが早い

CelesteとTrialsはどちらも高難易度であり、「何度も死にながら少しずつ攻略のコツを掴んでいく」タイプのアクションゲームである。

このタイプのゲームは好き嫌いが分かれるかもしれないが、私は好きだ。
少しずつ上達しているという実感、「さっきより先に進めた」という達成感を、スルメをかじるようにちょっとずつ味わうことができるからだ。これこそまさにゲームの醍醐味だろう。

だが、難しいゲームならなんでも良いというわけではない。試行錯誤を楽しむには、条件がある。それは「死亡してからリトライまでが早い」ことだ。

Welcome to the Future

リトライの早さにかけては、『Trials Fusion』の右に出るゲームは少ないだろう。

『Trials Fusion』ではコースにいくつもチェックポイントが設置されており、プレイ中に(PS4版の場合)×ボタンを押すとチェックポイントからのリトライとなるのだが、これが文字通り一瞬である。
(↑『Trials Fusion』のリトライ)

×を押した瞬間(おそらく1フレーム後?)にチェックポイントにワープ。一切の待ち時間なく、一瞬でリスタートできる。

チェックポイントの数も非常に多く、高難易度コースでは基本的に1つのギミック(穴や坂)を超えるとチェックポイント、という具合なので、ミスした際に同じ場所までやり直す、いわゆる「戻し作業」がほぼ存在しない

このため、死亡→リトライ時のストレスがほとんどなく、凄まじいペースで好きなだけ難所にトライ(して凄まじいペースで死亡を量産)することができる。
(※ただし、1コースの中で「30分が経過する」か「500回リトライする」とゲームオーバーとなり強制的に最初からやり直しとなるなるため、デスペナルティが皆無というわけではない。)

No More Running

『Celeste』では、Madelineはミスするとロックマン風に四散(ティウンティウン)するが、画面が暗転してすぐにチェックポイント(その画面のスタート地点)にリスポーンする。

操作不能になる時間は0.5秒程度というところで、流石にTrialsには敵わないものの、やはりリトライ時のストレスは殆ど無い。
(↑『Celeste』のリスポーン)

Trialsと違うのは、Celesteでは何度死んでもゲームオーバーになることはなく、延々とチェックポイントからやり直せること(ただし、通算の死亡数は記録としてカウントされている)。また、代わりにCelesteはチェックポイントの間隔がTrialsよりやや長い。

アクションゲームの自発的進化

チェックポイントの間隔が短い」「リトライにかかる時間が短い(一瞬)」というCelesteとTrialsに共通する特徴は、いずれも素晴らしい。

普通のアクションゲームというのは、ミスすると所定の地点(スタート地点orチェックポイント)まで戻されてリスタートとなる。
当然、ミスした地点に再挑戦(リトライ)するには、ミスした地点まで自分で操作して戻らなければならない

これはアクションゲームでは至って普通のことだ。マリオもロックマンも魔界村もそうだった。
しかしCelesteやTrialsに限らず、最近のゲーム(特に海外デベロッパー)は「ミスした地点まで戻る」いわゆる「戻し作業」を可能な限り減らそうと腐心している作品が多い。

なぜそういう風潮になったのだろうか? 一言で言えば「戻し作業」はつまらないとプレイヤーと製作者が気づいたからだろう。

すでに一度クリアした場所を、なぜ何度もやり直さなければならないのか? 素朴ながら、根源的な問いだ。
ゲームが楽しいのは道の難題にチャレンジして試行錯誤している時間であり、地味でつまらない「戻し作業」はモチベーションを削ぐノイズでしかない。

ミスをしたプレイヤーには「すぐに再挑戦したい」というリトライの欲求が生まれるのに、それが満たされずに別のこと(戻し作業)を強要されるのは明らかに不合理だ。
ならば、心ゆくまで難所に挑ませてやろう――。ユーザーを楽しませるため、そしてユーザーを信頼しているからこそ、現代のゲームのリトライは速くなり、チェックポイントの間隔は短くなっていったのである。


リトライ――死から逃れるための

そこで最後に取り上げたいのが『SEKIRO』である。実は『Celeste』『Trials』と並行して『SEKIRO』もプレイしていた(我ながら凄い食い合わせだな……。)。

「死にゲー」といえば今や『DARK SOULS』を始めとしたフロム・ソフトウェア作品の代名詞になっている。
(※が、もともと「死にゲー」という言葉はソウルライクの専売特許というわけではない。例として、ニコニコ大百科の「死にゲー」の項目が作られたのは2008年9月で、『Demon's Souls』の発売日である2009年2月より早い。)

私はソウルシリーズはほぼ未経験だったが、いざ『SEKIRO』をやると、確かに噂に違わぬ厳しさで、どのボス戦でも10回20回と為す術なく死を味わった。

しかし何度も戦ってるうちに、敵が技を出しそうなタイミングや、ガード・回避するべきタイミングがなんとなく掴めてくるようになり、やがてあっけなく難敵を倒せてしまう。

この特徴はまさにCelesteやTrialsと同じであり、確かに魅力を感じた。
しかし、結局上2作と同じようにはハマれず、途中(葦名弦一郎を倒したあたり)でプレイを辞めてしまった。

理由はいくつかあるが、この記事では「リトライまでに時間がかかる」点を挙げるべきだろう。
時間がかかるといっても、『SEKIRO』ではチェックポイント(鬼仏)の数は割と多いので、「戻し作業」自体はさほど長くない。
ただ、ゲームオーバーになるとリスポーンまでにある程度の長さのロードが入るのだ。

時間にして20秒程度だが、更にその後、リスポーン地点からボスのいる場所まで移動してようやく再戦になる。
すべて含めても1分程度であり、普通のゲームとして見ればさほど長くはないかもしれない。

しかし『SEKIRO』の死にやすさから考えると、この1分は「長い」のである。
『Celeste』『Trials』と比べるのが悪いのかもしれないが、私にはそう感じてしまった。これだけゲームオーバーを重ねるのが前提のゲームなら、「ボス戦の最初からリトライ」が可能であってしかるべきだろう。

世界観との兼ね合いなど、理由はあるのかもしれない。しかしいずれにせよ『SEKIRO』(のリトライシステム)は「死」に不寛容であると感じた。

対して『Celeste』や『Trials』は高難易度である代わりに、「死」に極めて寛容で、成長するための必然的なステップとしてゲーム全体がデザインされている。だから私は『Celeste』や『Trials』が好きだ。

「リスタートが速いゲームは良作」だと私は思っている。
単なる経験則では無い。リスタートが速いということは、作り手が「プレイヤーが何を欲しているか」を理解していることの証左だからだ。

プレイヤーは、ゲームに殺してほしいのだ。
難しい局面で、悩みたい。試行錯誤して、いろいろ試したい。いろんな技を使ってみたい。いろんな方向からジャンプしてみたい。プレイヤーの願望に、リトライは追いつけるか。それがこれからのアクションゲームでは大切になってくるだろう。