2019/12/27

『ポケモン』はe-Sportsにならない(し、なる気が無い)


(※この記事の内容は『ポケットモンスター ソード・シールド』発売時の環境に基づきます。)

『ポケットモンスター』シリーズには色々な遊び方がある。

メインストーリーを好きなポケモンを使って攻略する「RPG」としての側面。ポケモンを集めて図鑑の完成を目指す「収集ゲーム」の側面。単に好きなポケモンを眺めたりタッチしたりして愛でる「コミュニケーションゲーム」としての側面。そして、強力なポケモンを育成して戦わせる「対戦ゲーム」の側面である。

近くて遠い「ポケモン対戦」の世界

『ポケモン』は新作を出すごとに全世界で1000万本以上を売り上げる、ゲーム業界全体で見ても最大級にメジャーなシリーズだ。

にも関わらず、「ポケモン対戦」(※ここでの「対戦」は「対人戦」「オンライン対戦」を指す)は、対戦ゲームとしては決して一般的な地位を獲得できていない。 これは一見奇妙なことである。

例えば『マリオカート』や『スマブラ』であれば、ゲームに馴染みがある人であれば一度は対戦プレイをしたことがあるだろう。
あるいは『スプラトゥーン』なら、ソフトを買ったプレイヤーのほぼ全員がオンラインでマルチプレイを行う。そういう風にゲーム自体がデザインされているからだ。
『Fortnite』や『Dead by Daylight』といった、「プレイ=対人戦」と定義されているようなゲームも珍しくない。

しかし『ポケモン』においては、「ポケモンは知ってる/やったことはあるけど、対戦はしたことない」というユーザーが非常に多い。
ポケモンのネット対戦人口は、ポケモングローバルリンク(PGL)の登録者数からの逆算で、購入者全体の10~20%前後などと言われている……が、明確なソースは見つけられなかった。

もちろん動画サイトなどでは、ポケモン対人戦は十分に人気のコンテンツではある。
しかし他の「e-Sports」扱いされているジャンル――FPSRTSMOBA(デジタル)TCG格闘ゲームetc...――のように「プロプレイヤー」がいるという話は聞かない。

もっとも、ポケモンはe-Sportsなのかとかe-Sports・プロゲーマーの定義はといった議題にはこの記事では踏み入らない。
ここで考えたいのは、もっと単純な事実、すなわち「公式(ゲームフリーク・株ポケ・任天堂)が、ポケモン対戦をあまり流行らせようとしていない点についてである。


「対戦できる」だけで中級者

よく言われるように、ポケモン対戦は対戦ゲームの中でもかなりハードルが高い、初心者が参入しづらいシステムになっている。

確かに『サン・ムーン』からは「レンタルパーティー」として、他のユーザーが育成したポケモンを簡単にレンタルして対人戦で使用できるシステムが搭載された。
『ソード・シールド』では他のユーザーが作成したチームだけでなく、ゲーム内でもバトルタワーでレンタルできる。中々ガチな構成。

また『ソード・シールド』では「ハーブ」による性格補正の変更や、タマゴ技の後天的習得、ポケジョブによる自動努力値振りなどが可能になり、シリーズを経るにつれて育成にかかる労力は多少減ってきている。……が、あくまで「多少」である。

それでもなお、自分で意図したパーティーを組もうとした場合、相当な量のノウハウと作業量が必要とされるのは変わりない。

「かわらずのいし」を持たせた親の性格を遺伝させるという、裏技のような行為を前提とした孵化厳選。幾重もの低確率をくぐり抜けないと入手できない隠れ特性・キョダイマックスポケモン……。
そういった、普通にプレイしているだけでは決して知り得ないような「特殊」な手順を踏み、相当な時間をかけた事前準備を行わなければ「対戦用」のポケモンを6体準備することすらできない。

ただ「対戦する」スタートラインに経つだけで、これだけの知識と作業を要求するゲームは中々無い。

もちろん、ストーリーをクリアしたての状態(いわゆる「旅パ」)でオンライン対戦に挑むこと自体は可能である。

しかしその場合、レーティングバトル/ランクマッチはもちろん、フリーバトルですら相手に出てくるのは「対戦用」にチューニングされたポケモン(もしくは伝説ポケモン)が多数派であり、たいていはステータス差に蹂躙されて一方的に負けてしまう。
そうなれば、初心者は「よくわからないけど勝てないからつまらない」と諦めるのが普通だろう。

対戦に至るまでのハードルの高さが、ポケモン対戦を(『マリオカート』や『スプラトゥーン』のナワバリバトルのような)「万人が気軽に遊べる対戦ゲーム」に押し上げるのを阻害する、極めて高い参入障壁になっている。そして同時に、格闘ゲームのような「平等な条件での対戦」も拒否しているのである。


生き物か、戦闘マシーンか

なぜ未だに対戦用ポケモンの準備にこれほど複雑で煩雑な作業を強いられるのか?

もし本気で『ポケモン』を対戦ゲーム(e-Sports)としてアピールし、盛り上げたいのであれば、こういった育成作業はもっと簡略化する方向に進むだろう。

『ポケモン』は誰でも知っているし、ポケモンバトルのルールも分かる。
しかし対戦するとなると急に「個体値」「努力値」といった暗号が立ちふさがり、非公式情報を学ばなければ駆け引きのスタートラインにすら立てないというのは極めてアンバランスである。
まずまずの能力(婉曲表現)。

だが、『ポケモン』は決して育成作業を決定的には簡略化しないし、ステータスに関するマスクデータを秘匿し続ける。
なぜなら、ポケモンは「対戦用のデータ」ではなく「生き物」だから――と作り手が考えているからだ。
大森 育成に関する変革は、今回お話した以外にも、まだいくつかあります。先ほどのオートセーブの話とも関わりますが、我々としてはなるべくユーザーにとって遊びやすい環境を提供したいと思っているのです。それに、育成をしやすくすることによって、冒険をともにしたポケモン、思い入れのあるポケモンたちを連れて、ランクバトルなどの通信対戦を楽しんでほしいという想いもあります。

増田 先ほど大森も話した通りですが、ゲームの遊びかたが時代とともに変化してきているという点も大きいです。いまは、みなさんいろいろなゲームを遊んだり、ほかにやることがあったりと、お忙しいじゃないですか。昔と比べても、ポケモンの育成に時間を割いていただくのも申し訳ないなと。ただし、一気に育成ができてしまっても、そのポケモンに愛着が沸きにくい面があるのも理解できます。『ポケットモンスター ソード・シールド』の育成は、そのあたりのバランスがうまく取れているのではないかと考えています。好きなポケモンといっしょに、冒険もバトルもたっぷり楽しんでください。

引用元:ファミ通 | 『ポケモン ソード・シールド』ゲームフリーク増田順一氏&大森滋氏インタビュー
※太字引用者
太字にした2人の引用部分は、まさに「対戦ゲーム(ツール)としてのポケモン」「育成(生き物との交流)ゲームとしてのポケモン」の二律背反を表している。

もし『ポケモン』を対戦ツールとするならば、育成は楽なほど良い
対戦ゲームの醍醐味はプレイヤー同士の駆け引きであり、その土台に経つまでの作業(厳選・数値調整)は無意味なノイズであり、余計なハードルでしか無いからだ。

対戦ゲーム(特にe-Sports)は、将棋しかり格ゲーしかり、プレイヤーによって使うコマやキャラクターの性能に差があることは無い。イーブンな条件でスタートし、プレイヤーの知識や判断力(や運)によって勝負が決まらなければならない。

対戦ゲームは「プレイヤーの技能を競う」戦いであり、「キャラクターの性能を競う」戦いになってはならないからだ。決して絶対零度スイクンを持ってるから勝つといったゲームであってはならない。

一方で、『ポケモン』を対戦ツールとして見ない場合、育成は楽である必要はない

そもそも個体値(ポケモンの個体ごとのステータスの差)は、「同じポケモンでも少しずつ違いがある」という「生き物としてのポケモン」のリアリティを出すためのシステムである。
『ポケモン』というゲームを対戦ツールとして捉え、ポケモンを戦闘マシーンとして見た場合、個体値は「個性」ではなく単純な「優劣」でしかないが、それでも個体値システムが採用され続けているのは、「自分だけのポケモン」という「個体」への愛着をトレーナーに持ってもらうためである。
 
すなわち、6Vメタモンと「あかいいと」を駆使して理想個体を孵化させるトレーナーは、ゲームのコンセプト(「ポケモンはみな少しずつ違いがある生き物である」)に背いていると言える。そしてこれが、「公式がポケモン対戦を(e-Sportsとして)プッシュしない理由」である。

もしオフィシャルにポケモン対戦を「思考ゲーム」としてプッシュするとなると、否応なしに「個体値」や「厳選」といった行為について触れなければならない。だがそれは、ポケモンという存在が、実際の生き物ではなくデータ上の数値の羅列に過ぎないと自白することに等しい。そして、作り手はそれをしたくない。

あくまでポケモンは対戦ツールではなく、ポケモンとともに世界を旅する疑似体験を楽しむ(本来の意味の)ロールプレイングゲームである。それが前提であり、少なくとも建前なのである。


ちなみに初代(赤・緑)においては、当初対人戦システムは搭載される予定が無く、わずか2週間で急遽実装されたという逸話がある。
 ところが、ゲーム完成のための最終締め切りが、二週間後に迫ったある日。田尻は突如として、通信対戦モードの採用を決定した。(中略)
 この急激な提案に仰天したのは、対戦部分を担当することになったプログラマーの森本である。なにしろ締め切りまで、あとわずかの時間しかないのだ。
「最初に組み立てた戦闘のシステムとかプログラムは、あくまでもゲームのなかでの戦闘のためであって、通信用につくったものではなかったんです。だから、それをそのまま通信対戦に応用しても、本当におもしろくなるのか疑問でした。(中略)もともとが通信対戦を前提にしていなかったので、ポケモンの強さなんかも通信対戦向きのバランス調整をしていませんでしたしね。結局、そこからまたかなり手を加えていって、締め切りギリギリで現在のような形に仕上げていったんです」

引用元:『ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団』(とみさわ昭仁著、メディアファクトリー、2000年刊)129頁
中略引用者
流石に続編の『金・銀』以降は「対戦を前提としたバランス」調整が行われることになったはずだが、ともあれこのエピソードからは、『ポケモン』において対人戦は決してファーストプライオリティではなかったということが伺える。


ポケモンを「野生の存在」として受け入れるまで

長々と書いたが、まとめると、ポケモン対人戦が人口に膾炙しないのは「対戦に至るまでに必要な知識や作業が多すぎるから」である。

これにより、
  • カジュアルな対戦ゲームとして見ると、初心者に対するハードルが高すぎる。
  • e-Sports的競技として見ても、「公平な条件による戦い」に至るまでのコストが掛かりすぎる。
それゆえポケモン対人戦は、『マリオカート』や『スプラトゥーン』のような「万人向けの対戦ゲーム」にも、FPSやMOBAのようなプロ市場が生まれるような「玄人向けの競技」にもなりきれていないのである。

(※たまにポケモン対戦がe-Sports/競技化しないのは「運要素が強いから」だと言われることがある。たしかにそれも一因ではあるが、 麻雀やポーカーやDCG等の「運要素が強くともプロが存在するゲーム」が端的な反例になる。)

『ポケモン』が「対戦」というコンテンツとどう向き合うか。2つの道がある。
一つは、「Pokémon Showdown」のように「育成」を極限まで簡略化し、対戦ツールとして特化する道である。
※Pokémon Showdownは、ブラウザ上でポケモン対戦のシミュレーションが可能な非公式の海外サイト。もちろん著作権的には完全なグレー(妙な表現)。

もう一つは、これまでの本編のように、あくまで「ポケモンは生き物」であるという前提で、対戦用のポケモン育成を「一部のマニアによる特殊な遊び方」扱いし、表舞台に出さない道である。

どちらが正解というわけでもない。自分も以前は「ポケモンは対戦ツールになるべき」派だった。
別にe-Sportsになってほしいわけでもないが、せっかく奥深いポケモン対戦の世界が、育成や厳選の面倒臭さで入門する前に挫折されてしまうのはもったいない。もっと育成を合理的に簡略化し、「対戦ゲーム」としてアピールすればいいのにと思っていた。

しかし、今はどちらかと言えば「別に対戦ツールにならなくても良い」と思っている。特に『ソード・シールド』をやってそう思った。

例えば 『ソード・シールド』のワイルドエリアは毎日天候が変わり、それによって出現するポケモンも変化する。なので、もし捕まえたいポケモンがいたり欲しいわざマシンがあっても、その日に入手できなければ翌日まで待たなければならない(Switch本体の日付を変更するなどの裏技もあるが)。

もし『ポケモン』を「対戦を目的としたゲーム」として見れば、これほど面倒で鬱陶しい仕様は無い。プレイヤーは自分が考えたパーティーで対戦を楽しみたいのに、パーティーを準備するのに無駄な時間を掛けるような要素はノイズでしか無い。

しかし『ポケモン』を対戦ツールとして捉えず、ワイルドエリアを単に「その時々で色々なポケモンと出会える場所」として捉えた場合、日替わり要素は新鮮な楽しみに満ちた出会いとなる。

「○○が欲しいのに、すぐに捕まえられない」と考えるとストレスだが、「ワイルドエリアを適当に散策して、たまたま××と出会えたので育ててみる」といった偶然の妙を楽しむシステムとして捉えれば、見方が変わってくるのだ。(これは「隠しキャラが多すぎて開放に時間がかかりすぎる」と批判された『スマブラSP』と重なる部分がある。)
「自然」を受け入れられるかどうかが、ワイルドエリアを楽しめるかどうかの分水嶺となる。
これからポケモン対戦がどのように変化するのか、あるいはしないのか。それは単に育成が楽になるかどうかだけではなく、ポケモンという存在をどう扱うかという根源的なテーマと不可分の問題なのである。