2019/12/21

ドストエフスキーに「恋愛」は書けない ― 『白痴』登場人物一覧&感想


ドストエフスキー『白痴』(河出文庫、望月哲男訳)を読み終えたので、登場人物リストのメモと感想。

登場人物一覧

主要人物

  • レフ・ニコラエヴィチ・ムィシキン公爵
    • 主人公。病気の治療でスイスに住んでいたが、物語冒頭でロシアのペテルブルグへ戻ってくる。周囲から「白痴」扱いされている純真な青年。
  • セミョーン・パルフョーノヴィチ・ロゴージン
    • ムィシキン公爵がペテルブルグに戻ってくる汽車の中で出会った男。商人の息子で豪胆な性格。ナスターシャに求婚している。
  • レーベジェフ
    • 同じく公爵が汽車の中で出会った小役人。気が小さいがゴシップに通じており、人に取り入るのが上手い。
  • ナスターシャ・フィリポヴィナ
    • ペテルブルグで話題の種になっている美女。資産と美貌を兼ね備えているが、エキセントリックな言動を取り、周囲を畏怖させている。

エパンチン将軍一家と関係者

  • イワン・フョードロヴィチ・エパンチン将軍
    • 一家の主人。資産家。至ってまともな人物だが、それゆえ女性陣の言動に振り回される。
  • エリザヴェータ将軍夫人
    • 公爵の遠い親戚。娘たちの結婚に話が及ぶと、しばしば我を忘れる。
  • アレクサンドラ
    • 一家の長女。25歳。落ち着いた性格。
  • アデライーダ
    • 次女。23歳。絵を描くのが趣味。
  • アグラーヤ
    • 三女。20歳。姉妹の中でも一番の美人だが、自尊心が強く、特にムィシキン公爵に対しては挑戦的な態度を取る。
  • アファナーシー・トーツキー
    •  将軍の友人。ナスターシャの義理の父。アレクサンドラと結婚する予定だったが、ナスターシャに反対されたため、ナスターシャをガヴリーラと結婚させて話をまとめようとしている。

イーヴォルギン一家

  • ガヴリーラ・イーヴォルギン
    • エパンチン将軍の秘書をしている美青年。資産などの都合でナスターシャと結婚させられそうになっているが、本心ではアグラーヤと結婚したがっている。
  • イーヴォルギン将軍
    • ガヴリーラの年老いた父。虚言癖がある。
  • ニーナ夫人
    • ガヴリーラの母。家で下宿を営んでいる。
  • コーリャ
    • ガヴリーラの弟。13歳の多感な少年。ムィシキン公爵とは信頼関係を築いており、後に彼の使い走りとなる。
  • ワルワーラ
    • ガヴリーラの妹。23歳。やや気が強い。

第1部のその他の登場人物

  • イワン・ペトロヴィチ・プチーツィン
    • 金貸しを営む無口な男。ワルワーラの友人で、彼女に好意を持っている。
  • フェルディシチェンコ
    • ニーナ夫人の下宿に済む貧乏な男。常に道化的な言動を見せる。
  • マルファ・ボリソーヴナ
    • イーヴォルギン将軍に金を貸している中年女性。
  • イッポリート・テレンチェフ
    • マルファの息子。結核を患っている。
  • ダリヤ・アレクセーエヴナ
    • ナスターシャの友人。快活な女性。

第2部以降の主な登場人物

  • S公爵
    • エパンチン将軍の友人。35歳。アデライーダと婚約する。
  • エヴゲーニー・パーヴロヴィチ・ラドームスキー(R)
    • S公爵の友人。28歳の美男子でプレイボーイ。
  • ヴェーラ
    • レーベジェフの娘。公爵にやや好意的。
  • ニコライ・アンドレーヴィチ・パヴリーシチェフ
    • 公爵のスイス療養の資金援助者。物語開始の2年前に死亡。
  • アンチープ・ブルドフスキー
    • 「パヴリーシチェフの息子」を自称する青年。公爵に金を要求しに来た。
  • ウラジーミル・ドクトレンコ
    • レーベジェフの甥。ブルドフスキーの取り巻き。
  • ケーレル
    • ボクサーの男。ブルドフスキーの取り巻き。慇懃な口調と態度を好む。


感想

姿を消したナスターシャ

『白痴』は奇妙な小説である、というのが素直な感想だ。
ドストエフスキーの他作品、少なくとも『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』と比べると、作品としての完成度はずっと荒削りである。

どこが荒削りなのかと言うと、例えばキャラクターの登場ペースがアンバランスである。

この小説は、大雑把に言えば【ムィシキン公爵・ナスターシャ・ロゴージン】の3人による三角関係に、【ムィシキン公爵・ナスターシャ・アグラーヤ】のもう一つの三角関係が絡んだ四角関係がストーリーの中核になっている。

全4部構成のうち、第1部は安定した出だしである。

主要人物が登場・紹介されていき、とりわけナスターシャというスキャンダラスな美人がペテルブルグ中のゴシップの種になっていることが強調される。
やがて公爵とナスターシャは出会い、公爵はナスターシャの持つ危うく輝く自尊心を、ナスターシャは公爵の無垢な善人性をお互いに認め合う。

しかし第2部に入ると、この物語の最重要人物であるはずのナスターシャはほとんど姿を見せなくなる。ここが『白痴』の最もアンバランスな面である。

公爵とナスターシャは同じ別荘地のパーヴロフスクで過ごしているはずなのに、全然出てこなくなる。
かと言って、あえて出し惜しみしているのかと思いきや、いきなり普通に出てきてちょっとセリフを吐いたらまた消える。この物語の最重要人物の一人としては、なんとも不可解な待遇である。

ナスターシャが出てこないので、物語の中心であるはずの【ムィシキン公爵・ナスターシャ・ロゴージン】の三角関係が一向に描かれず、代わりに、突如として遺産を手に入れた公爵にタカリに来る男たちとの攻防……と言った瑣末事が延々と描写される(それはそれで面白いのだが)。


語られざる「第1.5部」

なぜ第2部になると急にナスターシャの出番が無くなるのか。この謎を解く鍵は、第1部と第2部の間の語られざる日々にある。
「あなたは半年前、みんなの前であの女にプロポーズをした――口を挟まないで、いいこと、注釈抜きでいくから――そのあとで、あの女はロゴージンと駆け落ちをした。その後、あなたとあの女はどこかの村か、それとも町で一緒に暮らしたけど、女はあなたから逃げて別の誰かのところへ行った(アグラーヤはひどく顔を赤らめた)。その後、女はまたロゴージンのところへ戻った。ロゴージンはあの女をものすごく……まるで狂ったように愛しているから。その後、あなたもまたなかなか頭のいい人だから、あの女がペテルブルグに舞い戻ったと知ると、すぐに後を追ってここに駆けつけてきた。」
 (下巻、24頁 )
アグラーヤが分かりやすく説明してくれる通り、公爵は第1部ラストの夜会の後、ナスターシャを追いかけて「町で一緒に暮らした」ことがあるのだ。
しかし、肝心の「一緒に暮らした」日々の描写が、本編では全く無い。完全に省略、隠蔽されている。

『白痴』河出文庫版の中巻の裏表紙には「ドストエフスキー流恋愛小説」という惹句がある。
しかしもしこの小説が「恋愛小説」であれば、主人公とヒロインが駆け落ちして一緒に暮らすという重要なシーンがカットされるはずがない。それこそが「恋愛」の最も盛り上がる瞬間であり、重要なシーンのはずである。なのに、公爵とアグラーヤの日々(と決別)は、決して描かれないのである。

なぜ描かれないのか。上記の惹句は、半分は当たっている。『白痴』は紛れもなく「ドストエフスキー流」の小説である。しかし「恋愛小説」ではない。ドストエフスキーには「恋愛」なんて書けないし、書かないし、書く気が無いからだ。


恋愛ではなく、なにか別の。

ドストエフスキーに「普通の恋愛」など書けない/書く気がないのは、アグラーヤの描写を見ても明らかである。

第2部以降、姿を消したナスターシャに替わって物語の中心となるのは、令嬢アグラーヤの結婚を巡る男たちの右往左往だが、このアグラーヤも――ナスターシャほどの狂気は(まだ)無いにせよ――極めて強い自尊心の持ち主であり、山の天気のように感情がコロコロ変わる。すなわち典型的な「思春期の少女」であり、一筋縄では行かない小悪魔として描かれている。

しかしアグラーヤと公爵のやり取りは、およそ(少なくとも現代人の価値観では)「恋愛」とは言えない代物である。

アグラーヤは「白痴」の公爵に対し――小動物相手に持つような――無垢性への愛おしさと、意地悪な加虐心を併せ持っている。ゆえに、公爵に対してツンツンした態度をとっていじめるのである。
対して公爵のアグラーヤに対する感情も、多感な少女に対する庇護欲と感嘆の入り混じったものであり、つまり両者の間には、普通の意味での「男女間の恋愛感情」はとても見受けられない。

ゆえに2人の関係は「恋愛的」ではない。だが、同時に極めて「ドストエフスキー的」である。
独自の理論の末に殺人の正当化を試みる『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフや、強すぎる自意識と劣等感に苦しむ『地下室の手記』の語り手のように、こういった自意識による自縄自縛に囚われた人間の描写は、ドストエフスキーが最も得意とするところである。
(『白痴』においても、イッポリートという病人が衆人の前で長々とした演説を行う典型的なシーンがある。)

アグラーヤの公爵に対する態度も、上記のようなドストエフスキー的自意識の一端である。
ドストエフスキーが描くのは常に人間の自意識とそれに伴う苦しみであり、通り一遍のロマンスでは無い。
故に、「公爵とナスターシャの暮らし」も「ナスターシャとロゴージンの暮らし」も決して描かれないし、『白痴』のラストがあのような展開になるのも必然的なのである。