2019/04/30

マックスとメイは友達になれる? 『ライフ・イズ・ストレンジ』と『ナイト・イン・ザ・ウッズ』の比較

『ライフ イズ ストレンジ(Life is Strange/LIS)』と『ナイト・イン・ザ・ウッズ(Night in the Woods/NITW)』は同時期に発売された海外製ADVゲームだが、主人公の設定やストーリーの内容にも多くの共通点がある。

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共通点

2人ともアメリカの田舎に住む思春期の少女である

マックスin自室
LISは18歳の少女マクシーン・コールフィールド(なんと露骨なファミリーネーム!)、通称マックスがオレゴン州の片田舎アルカディア・ベイに引っ越してきたところから物語が始まる。

マックスはどちらかと言えば内向的で、学校でも目立つ方では無いが、内心では周囲の人々や出来事に関して様々な感想を持っており、それがモノローグという形でプレイヤーに対して語られる。
メイin自室
NITWの主人公、同じくMから名前が始まるメイ・ボロウスキもアメリカの田舎ポッサム・スプリングに住む少女である。

もっとも、マックスは高校生でメイは20歳の大学中退、マックスは写真家としての将来の夢を持っているが、メイは行く宛も未来の展望も無いという違いはある。
やたらと電線を歩きたがるメイ
また、メイの言動はマックスよりはるかにエキセントリックである。
メイは好きあらばあたりを飛び跳ね、(プレイヤーがやらせているのだが)電線の上に飛び乗るが、マックスはそんなことはしない。
やたらと引き出しを開けたがるマックス
一方でマックスも、(プレイヤーがやらせているのだが)平然と他人の部屋に入って引き出しの中身を漁ったりする。
電線」と「引き出し」は2人の性格を、ひいては両作の作風を象徴するアイテムと言えるだろう。

2人とも「青い友達」がいる

マックスにはクロエという友達がいる。
幼い頃からの親友だったが、5年前にマックスが引っ越したことで交友が途絶え、マックスがまたアルカディア・ベイに戻ってくると、クロエは髪を青く染めている。

マックスとは対照的にクロエは行動的かつ感情的で、彼女がマックスの手を引いてグイグイ進むことでLISのストーリーは進行する。
メイにもビアトリス(ビー)という友達がいる。
やはり昔からの友人だが、終始べったりというわけではなく、やや疎遠になっていた時期もあるようである。

ビーも「青い」色で、クロエと同じくパンクロック的な趣味を持っている。またクロエは父を、ビーは母を亡くしており、家庭環境が彼女たちの精神や生活環境に影を落としているという点でも共通している。
ただしクロエと違って、ビーはメイをコントロールする側に立つことが多い。

いずれにせよ、2人とも主人公にとって重要な存在である点は共通している。
またエンディングで(選択肢によるが)、クロエ/ビーの車に乗って町を離れるというシーンが共通して用意されているのも興味深い。

2人とも行方不明の同級生がいる

NITWではケイシー・ハートレーというメイたちの友人が行方不明になっている。
もっともメイたちは、ケイシーの行方については「列車に飛び乗って他の街に行ったんだろう」と楽観的な推測をしている。
一方LISでもレイチェル・アンバーという同級生が行方不明だが、こちらはレイチェルとクロエは親友だったこともあり、「自分に連絡なく消えるなんておかしい」「きっと事件に巻き込まれたんだ」とクロエは主張しており、マックスとともにレイチェルの行方を追いかけることになる。

2人の消息は、いずれも物語の核心部分で明かされる「この町の闇」に関わってくる。共通するのは、どちらも残った人々が「こんなシケた町から逃げて都会に行ったんだろう」と考えているところだ。

2人ともノートを持っている

マックスは日記を持ち歩いており、ことあるごとに細かく日々の記録をつけている。
テキストだけでもかなりの分量で読み応えがあり、ゲーム的にはこれまでの進行状況をプレイヤーが確認できるシステムとしても機能している。
一方でメイも手帳を持ち歩いているが、これはメイが医者に治療の一環として持たされたものであり、内容もマックスのものと比べると遥かにプリミティブな代物である。
ここもマックスとメイの差異を示す端的な一例といえるだろう。

2人とも楽器を弾く

メイは友人のビーやグレッグたちとバンドを組んでいる(ただし練習するだけで他人にはあまり披露しない)。
メイの担当はベースで、ゲーム内でもミニゲームとして楽器を演奏できる。
マックスも自室にギターがあり演奏もできるが、こちらは特にインタラクションは無く彼女が弾いているのを眺めるだけである。

線路が出てくる

線路の上をマックスとクロエが手をつないで歩くシーン。LISのトレーラーなどで使われている通り、美しくエモーショナルな光景である(このあと大変なことになるが……)
NITWのポッサム・スプリングの町沿いにも「線路」は走っている。
物語上ではあまり重要な役割ではないが、少なくともメイは電車が線路を走る音は嫌いではないようだ。

どっちと友達になりたい?

以上の通り、マックスとメイには多くの共通点がある……がもちろん異なる点も多い。

ゲームとして見れば、LISは「時間を巻き戻す能力」を使って謎解きをしながら進めていく、古典的で王道なADVである。一方NITWはそういったADV的フラグ立ては殆ど無い。
その意味で「ゲーム」としてのクオリティはLISのほうがずっと高いし、人口に膾炙しやすいのもLISのほうだろう。

だが個人的にどちらが好みかと言われれば、NITWを推したい。
LISは、良くも悪くも本質的な作りが「エンタメ的」だと感じる。すなわち、キャラの描写やプロットの展開が、ストーリーを物語るための「手段」として使役されているように見えるのだ。

イギリスの作家、E・M・フォースターは自身の論集『小説の諸相』で、物語の登場人物には「平面的人物」と「立体的人物」の二種が存在すると語っている。

その名の通り、「平面的人物」は厚みがない、いわゆるテンプレートな「お約束」に従った造形・描写のキャラクターであり、逆に「立体的人物」は複雑で多面的な人物だとフォースターは分類している。
平面的人物がすぐれたものになるのは喜劇的な場合だけだということも認めなくてはなりません。平面的人物がまじめすぎたり悲劇的だったりすると、大抵退屈な人物になります。『小説の諸相』みすず書房、106頁
LISは「平面的人物」の物語だ。マックスは「やや内向的な少女」という、クロエは「やんちゃな友人」というテンプレートに沿って造形されている。
しかしこの2人ですらLISの中ではかなり「立体的」な部類で、他の脇役はいずれも「学園ドラマによく出てくる類型」をなぞっているだけだ。

もちろん、LISの人物描写が平面的だから悪い……というわけではない。
平面的な人物は王道でわかりやすく、舞台上で立ち回りやすい。フォースターもコメディなら平面的人物は向いていると言っている(事実フォースターの作品の中にも「平面的」なコメディ・リリーフが多く登場する)

一方でNITWのキャラクター造形は極めて「立体的」だ。
特にメイ。彼女はこれまでゲームで描かれたキャラクターの中で最も複雑で多面的な存在の一人だろう。
彼女の言葉はゲームやシナリオの都合ではなく、彼女自身が考え、感じた結果として紡ぎ出されている。プレイしていると、そうひしひしと感じる。
「手段』としての描写ではなく、NITWは描写それ自体を目的とした作品である。

どっちも良いゲーム

というわけで、個人的には友達になるならメイやビーの方なのだが、もちろんマックスとクロエも魅力的な人物である。
ぜひどちらもプレイして、比較して楽しんでほしい。